理想的な指導法

基本的にはまじめで一生懸命やってくれたら指導者は嬉しいわけなんですけど、これも裏を返せば、実は指導者が怒鳴ったり叩いたりして、抑圧的な指導が絡んでいることがよくあります。

まじめや一生懸命も、実は指導者の思っているような理想の四角四面の箱の中に閉じ込めてしまっていて、指導者だけが満足しているケースがよくあるのです。

そういうのを見ていたら、もったいないなぁと私はいつも思います。
小中高校生なんて可能性の塊だと思います。
どんなものにだって変われる柔軟性のある年代なのに、大人の硬い頭で一つのものにはめ込むなんて実にもったいないと思うのです。

ただ、自由奔放にやらせばいいかといえばそうではありませんよね。
好き勝手やらせたら、とんでもない方向に行ってしまうのもこの年代の特徴です。(時には警察沙汰に…)

私が思う理想的な指導法は、大きな手のひらの上で選手達を自由に動かしているイメージです。

選手達は独創性、創意工夫をもって自由に取り組んでいるんだけども、けっして度が過ぎてふざけるとかだらけるとかではなく、どこかで節度をもって取り組む。
その節度の範囲が指導者の手のひらの中であり、指導者は見てないようでもきちんと把握できていることが重要です。
それは選手らに対して愛情を注ぐということかもしれません。

明るさ楽しさの中に、まじめさ、ひたむきさも兼ね備える。
そういったいろんなものがバランスよくミックスされている時は、選手達が勝手に強くなっていくのを感じます。

そうです、指導の導は導くという漢字ですよね。
けっして教えすぎるのではなく、大人の理想にはめ込むのでもなく、選手達が良い方向に勝手に行ってくれるようにどう導くかですよね。

それは時にはとても時間のかかることかもしれません。
だって痛み止めや解熱剤のように、一瞬だけ、症状だけを抑えようとすれば、叱り飛ばせばすぐ止んでくれます。
でも、それはあくまで対症療法ですよね。

いちいち叱らないとできないということは指導者の導き方のミスです。
根本的な治療をするには、本質的に選手が自ら良い方向に、自分の力で進んでいってもらわなくてはいけません。

それは親が熱心に子供を叱咤することとも違います。
他者によって必死に引き上げても、持続性、自主性は生まれませんから。
あとは自分自身が気づくことです。

でも、やはり根底にあるのは選手ら自身が本当に強くなりたい!うまくなりたい!そして、そのスポーツが大好きだ!という気持ちがあるかないか、それにかかってくるのかなと私は思います。

その心は他人がコントロールできることではありませんよね。
そういった思いを潰さぬように、壊さぬように大人達がいかに子供達が羽ばたけるよう導けるかが重要であると思います。

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