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- 朝日新聞 オリンピック特集(2012年8月12日)
「人魚を輝かせるためならば」井村雅代 シンクロ中国ヘッドコーチ(当時)彼女と初めてゆっくり話したのは、アテネ五輪の一年前だった。五輪一年前企画で、野球監督・長嶋茂雄、ソフトボール監督・宇津木妙子と一緒に、シンクロ・日本代表の井村雅代に座談会をお願いしたのだ。長嶋茂雄が、その後脳梗塞で倒れるとは思ってもみない夏の日だった。
その企画の終盤だった。長嶋があの口調で話した。「我々は、日本最高のシェフを3人連れてきておりますからね。選手やお二人とも食べにいらっしゃってください」。
井村が反論した。「そんなことを言ってるから、あかんのですよ。シンクロは出されるもんは何でも食べる。食べるのも仕事。何が出てきてもね。男の子はあかんなぁ」。
長嶋茂雄がたじろぐのを初めて見た。
そういう女性だ。アテネ五輪はデュエットとチームで銀メダル。さすがだった。彼女はロサンゼルス五輪から、すべての五輪で日本にメダルをもたらした。が、だからこそ、国内にも敵が多い。北京五輪前、彼女の居場所は日本にはなくなった。
中国から請われ、ヘッドコーチに就任した。非難する人は「売国」とまで呼んだ。「求められるところでやるのが私」。言い切って中国をチーム銅メダルに導いた。北京五輪が終わっても、やはり日本では受け入れられない。ロンドン五輪も中国ヘッドコーチだった。デュエット銅、チーム銀メダル。「ふたつとも銀を取りたかったけど、初めての銀。これは大変なこと」。
16日で62歳。これからどう進むのか。「さあ、いつ荷物を片付けるのか。全然考えてない。来る時が来たら自分のやりたいことが見えてくる。そういう人生やから」。言ってから言葉をついだ。「チャレンジは楽しいですよ」井村さんの「シンクロは何が出てきても何でも食べる」。本当の選手としての底力はこういうところから発揮されてくるように感じました。何もハイテク、最新のトレーニングをしなくとも、こういう姿勢があれば十分通用すると思います。
先日ご紹介させていただいた武井壮さんの話とも共通する部分があるように感じます。そして2014年2月に井村さんは日本チームに復帰されたそうです。
国内にも敵が多いと言われてきましたが、日本シンクロ界の低迷と、井村さんの実績から考えると当然の結果なように感じます。指導者たる者、尖ったことをすればするほど批判や非難はつきもののように感じます。
それを恐れて小さく収まることに、私自身も違和感を感じます。
信じたことをやり通せる人間力を感じることができました。
- 朝日新聞 オリンピック特集(2012年8月12日)