指導者のあるべき姿

指導者って、技術を教えるイメージがありますが、私は指導者とは「姿勢を見せる」ことではないかと思うのです。

私自身が選手だった頃を思い返せば、指導者の姿をよく観察していました。

ひねくれてたので、指導者の表の顔と裏の顔であったり、都合のいいことばっかり言うてるなぁだったり、結局自己保身にはしってる人やなぁとか、教えることで自分が満足してるだけやんとか、「お前のためを思って怒ってるんや!」って言ってるけど、自分の発散のためなんやろなとかそんなことばっかり見ていたんですね。

やっぱりそれぐらい選手というのは指導者を見ている。

間違ったことがあったら素直に謝る。指導者も一人間であるのだから、上から目線ではなく同じ目線で向き合う。

そして、この人だったら信頼できるとなったら、その後の技術的なこともスッと入ってくる。

技術10%、姿勢90%くらいではないでしょうか。

指導者がいかに身も心も包み隠さず裸となって向き合えるかだと思います。

大人が自己都合で、そもそも言葉にフィルターがかけられているのに、子供だけに「フィルターかけずに心開いて素直に聞け!」とは都合が良すぎます。

子供は敏感です。
大人が物に当たり散らせば、子供もそうなっていきます。
大人が動揺すれば子供も動揺しはじめます。

子供が成長するか否か。
素直に育ってくれるか否か。
それは大人である指導者次第です。

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