-
-
-
- 動物が生きている動物園には、遠足に行くことはあっても、精肉にするために牛や豚、鶏を殺す屠殺場にはなぜ行かないのだろうかとふと思いました。
生きていくためには、植物や動物の命をいただかないと人間は絶滅します。
人間は自殺をすることもある生き物ですが、決して生を諦めることのない動物の命を頂戴して人間は生きていけているわけで、その現場を我々が一切知らないというのは、いかがなものでしょうか。
若い世代が、「魚は骨があると食べれない」とか「魚って開きのままで泳いでると思ってました」とかいう話が実際にあると聞きますが、そういったことにもつながってくるのではないかと思うのです。
できることなら大人が子供に見せたくないものと、本当は見せたくはないけれど、見ておかなければいけないものとをきちんと区別する必要があるのではないでしょうか。
そういう一見残忍な現場を見ると、子供の心に残虐性が生まれる心配があるというのが教育界の見解なのかもしれませんが、全くの逆だと思います。
むしろ、誰にも必ず訪れる死を認識することで、生の重要性を学ぶことができると思います。スーパーで切り身で売られている肉を見て、もともと命があった姿だと誰が想像できるのでしょうか。
「いただきます」と本当に心を込めて挨拶できるようになるために、本物の現場を見て感じることはとても大事だと思うのです。
- 動物が生きている動物園には、遠足に行くことはあっても、精肉にするために牛や豚、鶏を殺す屠殺場にはなぜ行かないのだろうかとふと思いました。
-
-